#9 <無明>



#9 <無明> −1 オリジナル
              南伝 相応部経典 38−9

かようにわたしは聞いた。

ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の
国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。
その時、ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サー
リプッタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にみちた
慇懃なる談話をまじえて、やがてその傍らに坐した。

傍らに坐したジャンプカーダカは、長老サーリプッタにいった。

「友サーリプッタよ、無明、無明といわれるが、友よ、いった
い、無明とはなんであろうか」
「友よ、およそ、苦についての無智、苦の生起についての無智、
苦の滅尽についての無智、および、苦の滅尽にいたる道につい
ての無智、友よ、これを称して無明というのである」

「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろ
うか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこ
にいたる方法があるのである」

「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。
そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの無明を捨て去っ
てしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正
業、正命、正精進、正念、正定である。友よ、これが、それら
の無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なので
ある」

「友よ、この無明を捨て去ってしまう道は、まことに善い。そ
こにいたる方法は、まことに素晴らしい。友サーリプッタよ、
それはまた勤めはげむに足る」


   *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第3巻 267頁より抜粋




このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> −2
               
■■ ■■■■■ ■■■■
■■■■■■■■■■■■
ある時、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ジャンプ
カーダカ■■■■■■■■■■が、■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■長老サーリプッタにいった。

■■■■■■■■■■無明、無明といわれるが、■■■■■■
■■無明とはなんであろうか。
■■■■■■■苦についての無智、苦の生起についての無智、
苦の滅尽についての無智、■■■■苦の滅尽にいたる道につい
ての無智、■■■これ[四つの智慧が生じていないこと]を■■■無明という■■■■。

■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろ
うか。そこにいたる方法があるであろうか。
■■■■それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこ
にいたる方法がある■■■■。

■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。
■■■■かの■■■八支の道こそは、それらの無明を捨て去っ
てしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正
業、正命、正精進、正念、正定である。■■■これが、■■■
■無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#9 <無明> −3

ある時、ジャンプカーダカなる遊行者が、長老サーリプッタに
言った。

無明、無明といわれるが、無明とはなんであろうか。
苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽につい
ての無智、および、苦の滅尽にいたる道についての無智、(四
つの智慧が生じていないこと)を無明というのである。

では、それら無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこ
にいたる方法があるであろうか。
それらの無明を捨て去ってしまう道がある。そこにいたる方法
がある。

それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる
方法とはなんであろうか。かの八支の道こそは、それらの無明
を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、
正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。これが、無明
を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。




八支の道を八正道と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> −4

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■無明とはなんであろうか。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■四つの智慧が生じていないこと■
を無明という■■■■。

■■■■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■■■■■、■
■■■■■方法があるであろうか。
■■■■無明を捨て去ってしまうには道■■■、■■■■■■
方法がある。

■■■■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■■■、■■■
■■■方法■はなんであろうか。
                                                    ■■八正道■■は、■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■、
それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、
正念、正定である。
 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■


このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#9 <無明> −5

無明とはなんであろうか。
四つの智慧が生じていないことを無明という。

無明を捨て去ってしまう道、方法があるであろうか。
無明を捨て去ってしまうには道、方法がある。

無明を捨て去ってしまう道、方法はなんであろうか。
八正道は、無明を捨て去ってしまう道、それは、すなわち、正
見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> −6

■■■■■■■■■■■■
四つの智慧が生じていないことを無明という。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
八正道は、無明を捨て去る■■■■道、すなわち、正見、
正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。




このお経の essence は、次のようになります。清書します。

#9 <無明> −essence

四つの智慧が生じていないことを無明という。

八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定である。



#9 <無明> −essenceには、重大な誤りがあります。(永
野)

無智と無明は異なります。

四つの智慧が生じていないことは無明ではありません。無智で
す。
無智は、未だ、正見(四つの智慧)が生じていないことです。

無明は、未だ、四つの真理を理解していないことです。
四つの真理を理解していないことを、無明といいます。

八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定である。



#9 <無明> −essence を書き替えます。(永野)

#9 <無明> −essence (永野)

22> 無智と無明は異なります。

23> 無智とは、正見(四つの智慧)が生じていないこと。

24> 無明とは、四つの真理を理解していないこと。

25> 八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、
    正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。





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