「比丘たちよ、過去世においても、善男子の、まさしく家を出で
て出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、
はっきりと理解せんがためであった。
比丘たちよ、未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて
出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままにはっ
きりと理解せんがためであろう。
また、比丘たちよ、現在においても、善男子の、まさしく家を出
でて出家するものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがまま
に、はっきりと理解せんがためである。
では、その四つの聖諦とは何であろうか。
それは、苦の聖諦、苦の生起の聖諦、苦の滅尽の聖諦、苦の滅尽
にいたる道の聖諦である。
比丘たちよ、過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男
子も、すべてこの四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解
せんがためであった。また、未来世において、まさしく家を出で
て出家する善男子も、..また、現在において、まさしく家を出
でて出家する善男子も、すべて、この四つの聖諦を、あるがまま
に、はっきりと理解せんがためである。
これによりて、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。
<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>
と勉励するがよい。<こは苦の滅尽に到る道なり>と勉励するが
よいのである」
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 250頁より抜粋
#6 <善男子> −2
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ある時、世尊は、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■仰せられた。
■■■■■■■過去世においても、善男子の、まさしく家を出で
て出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがまま
に、はっきりと理解せんがためであった。
■■■■■■未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて
出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがまま
に、はっきりと理解せんがためであろう。
■■■■■■■■■現在においても、善男子の、まさしく家を出
でて出家するものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがま
まに、はっきりと理解せんがためである。
■■■■■■■■■■■■■■■■
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■■■■■■過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男
子も、すべてこの「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと
理解せんがためであった。■■■未来世において、まさしく家を
出でて出家する善も、..■■■現在において、まさしく家を出
でて出家する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
これによりて、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
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■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■「四つ
の真理」を勉励するがよい■■■■。
勉励は精進と書き替えます。
このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。
#6 <善男子> −3
ある時、世尊は、仰せられた。
過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるもの
は、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと
理解せんがためであった。
未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるもの
は、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと
理解せんがためであろう。
現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家するもの
は、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべて
この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがた
めであった。
未来世において、まさしく家を出でて出家する善男子も、..
現在において、まさしく家を出でて出家する善男子も、すべて、
この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがた
めである。
これによりて、「四つの真理」を精進するがよい。