前編 第2章 墨消し法によりお経の essence を求める
(10経)
「読書百回、意、自ずから通ず」
墨消し法をいたしますと、お経に慣れ、用語に慣れます。
私は、今日まで、日本語の仏教辞典を持っていません。
墨消し法により、パーリ聖典10経のお経のessenceを求めま
しょう。
#1 <一切> −1 オリジナル
南伝 相応部経典 35−23
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇
陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、世尊は、「比丘たちよ」と呼ばせたまい、彼ら比丘た
ちは、「大徳よ」と答えた。そこで、世尊は、つぎのように説
いて仰せられた。
「比丘たちよ、なにおか一切となすであろうか。それは、眼と
色(物体)とである。耳と声とである。鼻と香とである。舌と
味とである。身と触(感触)とである。意と法(観念)とである。
「比丘たちよ、これらを名づけて一切というのである。
比丘たちよ、もし人ありて、<わたしは、この一切を捨てて他
の一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、そ
れは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。
何故であろうか。
比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからであ
る」
*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3卷 31頁より抜
粋
#1 <一切> −2
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ある時、世尊は、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
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■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■つぎのように■■■仰せられた。
■■■■■■■なにおか一切となすであろうか。それは、眼と
色(物体)■■■■、耳と声、■■■、鼻と香■■■■、舌と
味■■■■、身と触(感触)■■■■■意と法(観念)とであ
る。
■■■■■■これらを名づけて一切という■■■■。
■■■■■■もし人ありて、「わたしは、この一切を捨てて他
の一切を説こう」と、そのように言うものがあったならば、そ
れは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、
よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。
何故であろうか。
■■■■■■それは、ありもしないものを語っているからである。
物体を眼の対象、感触を touch、観念を dhammaと 書き替えます。
このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。
#1 <一切> −3
ある時、世尊は、つぎのように仰せられた。
なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対
象)、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法
(dhamma) とである。
これらを名づけて一切という。
もし人ありて、「わたしは、この一切を捨てて他の一切を説こ
う」と、そのように言うものがあったならば、それは、ただ言
葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明でき
ないばかりか、さらに困難に陥るであろう。
何故であろうか。
それは、ありもしないものを語っているからである。
このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。
#1 <一切> −4
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なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対
象)、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法
(dhamma) とである。
これらを名づけて一切という。
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#1 <一切> −5
なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対象)、耳と声、
鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法(dhamma) とである。
これらを名づけて一切という。
#1 <一切> −6
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■眼と色■■■■■
■、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触■■■■、意と法■■■
■■■■■■■■■を名づけて一切という。
#1 <一切> ーessence
1> 眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法を名
づけて一切という。