後編 第4章 その後の私

八正道の practice を完成し、私に、正見(四つの智慧)が生じ
た後、私は、念 (sati) に住し、念 (sati)→定 (samadhi) の
practice を続けていましたら、四つの真理を理解し、私に、不
貪不瞋不痴 (araga, adosa,amoha) (sacca、善)の生活が始ま
りました。

その後、私は、どのような生活をしているか、触れておきまし
ょう。
1.念 (sati) があると、脳波はβ波からα波になり、浅い定
(samadhi) が生じ、貪瞋痴は滅 (cease) して、貪瞋痴は生じ
(arise し)ません。さらに、念 (sati) がありますと、脳波は
α波を越えてθ波になり深い定(samadhi) が生じ、やがて、
δ波になり眠ってしまいます。

深い定 (samadhi) では日常生活はできませんが、浅い定
(samadhi) では日常生活はできます。
私は、浅い定 (samadhi) に住して、日常生活をします。

念 (sati) があると定 (samadhi) が生ずるという現象は、生理
現象であって、念 (sati) という動機は、祈り、祈祷、呪ではあ
りません。信ずる、信仰でもありません。

念 (sati) があって浅い定 (samadhi) にいるとき、外界から強い
informa-tion が五官に到達すれば、貪瞋痴は生じますが、よほ
ど強くない限り貪瞋痴は生じません。

念 (sati) と定 (samadhi) は滅 (cease) する時があります。
定 (samadhi) を中止しようと思いますと、念 (sati) と定
(samadhi) は滅(cease) して貪瞋痴が生じ (arise し) 得る状態
に戻り、貪瞋痴は生じ(arise し) ては滅 (cease) し、生じ
(arise し) ては滅 (cease) します。

私は、常時、浅い定 (samadhi) に住して、考え、語り、行うよ
うにしています。私は、常時、私を観ながら、日常生活をして
います。

2.私が生活している場は、貪瞋痴という information が循環
している縁起の場、家庭、社会、国家、国際世界、地球です。

私は、八正道の中で、生き物を殺すなとか、うそをつくなとか、
二枚舌を使わないとか、十余の戒を守りましたが、守り切れない
で、なっちゃいないと落胆し、戒を守ることを中止して、専ら、
念 (sati)→定 (samadhi) のpracticeをしましたが、社会生活をす
るには、戒(モラル)は必要です。

私は、社会生活をするために、人格を向上する必要があります。
戒は守りきれないものと承知の上で、現在、私は十余の戒を守っ
ています。善悪判断がますます鋭くなりました。よく観えます。
善(不貪不瞋不痴)を積む。毎日の生活は楽しいです。

3.念 (sati) があって、浅い定 (samadhi) にいて、人格の向上
に務めながら日常生活を営んでいますと、それは、私の脳の発達
と脳のプログラム形成に、また、遺伝子DNAに、よい影響を与
えている、と言えないでしょうか。

4.私は、釈迦の教え−Gotama Buddhism を、パーリ聖典から
学び得たことを誇りに思い、終生、念 (sati) に住して戒を守り、
人格の向上に努めながら、その日、その日を送りますと申し上げ
て、ひとまず、『釈迦の教え− Gotama Buddhism』のお話を終
えます。                      


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